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2021-05-05 飯高町福本の 大トチノキ開花まじか見ごろ5月10日ごろ
2021-07-07 第7回 松阪の偉人たち展(松阪市文化財センター 第2ギャラリー)大谷嘉兵衛展示

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渋沢栄一と大谷嘉兵衛

渋沢らとの渡米のきっかけは、日露戦争(1904~05年)後に生じた日米間の摩擦。
同館の機関誌「青淵(せいえん11渋沢の雅号)」によると、この頃日米の経済関係は深まるが、ロシアに代わって東アジアで台頭する日本への米国の感情は悪化し、日本の実業家たちは対立激化を憂慮した。
 1908(同41)年、第一銀行頭取だった渋沢と日本製茶㈱社長で横浜商業会議所会頭の嘉兵衛、大物実業家の中野武営 (東京株式取引所理事長や関西鉄道社長などを務め、のちに東京商業会議所会頭)、松方幸次郎(川崎造船所社長、父は明治の元勲で総理大臣を務めた松方正義)らが民間の立場から日米関係を改善する方法を模索する。
 こうした中、米国の実業家が同年10月、横浜港に立ち寄るとの情報が入った。渋沢や嘉兵衛らは一行を歓迎して日本の親米感情を伝えることを考える。
 歓迎はあくまで民間主導だったものの、結果的に外務大臣など政府の要人も多数出席するこどとなり大成功裏に終わつた。
1909(明治42)年の渡米団の記念写真 (渋沢栄一記念財団渋沢史料館所蔵)
(上写真)の真ん中にエジソン(右)、渋沢(右から2人目)、大谷嘉兵衛(左端)が写る

 

大谷嘉兵衛の会では、飯高町の四季・行事を中心に、広く写真を募集しております。
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